~エネルギー危機の中で13mの津波が襲っても安全に停止した女川発電所の存在意義~
当社は、これまで、主として、インターネット上でのポータルサイトを運用するインターネット・コンテンツ提供事業者向けに東京と大阪の都心型データセンターを運用してきました。今後は、社会のDX(デジタル変革)の進行に沿って、大規模化(ハイパースケールデータセンター)、地域分散(地域DXセンター)の開設を検討しているところです。
このような状況の中で、東北大学x仙台市のスーパーシティ・プロジェクトのアーキテクトを拝命したことから、東北大学参与、仙台市CDO補佐官への就任を依頼され、当社の将来展望を見据えて東北地域をケーススタディとして調査検討を進めるために引き受けさせて頂きました。この度、仙台市のプロジェクトでご一緒させて頂いている東北電力の皆さんとの間で、信頼性、安全性の面で共通点の多いデータセンターと電力供給というそれぞれの立場から、情報交換を始めたところです。
そこで、地政学上の激しい変化と共にエネルギー危機に直面しつつある中で、私の知る限り、卓越した災害への対応体制を確立され、規模的には、電力会社の中で、全国最大のサービス地域(東北全県と新潟県)を担われている東北電力が、東日本では初めて、2024年の再稼動を計画されている女川原子力発電所を見学させて頂きました。今回は、そのことについて述べてみたいと思います。
2011年3月11日14:46に東日本大震災が日本を襲いました。その後、遅れてやってきた大津波の影響で東京電力福島第一原子力発電所の周辺は未だに復興と程遠い状況にあります。でも東北電力女川原子力発電所は安全に停止し、現在も安全に再稼動を待っている状況にあります。
早期の復興を遂げた理由は、東北電力と東京電力の津波に対する備えの違いがありました。個人的な体験で恐縮ですが、私は、20代の後半に原子力発電所の通信制御装置(制御棒制御装置、制御棒位置指示装置、計測制御信号の多重伝送装置)の設計と構内情報通信システム(LAN)の設計を行っていましたので、福島と女川の何処が違うのかに大変興味を持っていました。
今回、大変詳しく、プレゼンテーションをして頂くと共に、放射線線量計を身に着けて、3号機の原子炉建屋とタービン建屋の内部を見学させて頂きました、これらを通じて私が感じたことを以下に述べさせて頂きます。
地球物理学者と土木工学者による電力会社の経営層への提言は、869年の貞観地震の文献や記録によると10mをはるかに超える津波がやってくることに備えるべきというものでした。これは、プレートテクトニクス理論に基づき太平洋プレートが日本列島付近で沈み込む時に溜まる歪みエネルギーが約1000年の時を経て、放出されたことになります。
東北電力女川原子力発電所のプレゼンテーションによると、3回にわたって東北電力の経営陣は科学者、技術者の提言に耳を傾け、想定される津波の高さに修正を加えました。設置場所を14.8mとし、最初の想定津波高さは、3mでしたが、次のシミュレーション検討の結果、9.1m、さらなるシミュレーションの結果13.6mと設定することとしたとのことです。そして2011年3月11日14:46東日本大震災が起こりました。
この地震によって、牡鹿半島全体が1m地盤沈下しました。その結果、女川発電所の海抜は13.8mになってしまいました。その後、大津波が襲いましたが、津波高さは、13mだったため、地震で原子炉は停止しましたが、非常用電源は正常に始動し、原子炉の冷却は安定的に実行されました。
一方、当時の東京電力福島第1原子力発電所では、標高0mに発電設備が設置されると共に地震による停電時に作動する安全保護系用の非常用発電機は地下に装備されていました。また、津波に対しては、高さ5.7mの防潮堤で十分だと判断されていました。これは、科学者と技術者の提言が反映されず、1150年前の地震は当分来ないという経営判断に基づくものでした。結果的には、15mの津波に襲われ、地震の揺れには耐えましたが、非常用電源は、水没して稼働しませんでした。地震の揺れで外部系統電源が停電したため、原子炉の緊急停止後、通常運転の再循環系ではなく、安全保護系のポンプを非常用電源によって冷却し続ける必要がありますが、水没のため冷却できずに空焚き状態となりメルトダウン(炉心溶融)が3つの原子炉で発生し、原子炉建屋が水素爆発を起こし、大量の放射性物質が放出される大事故になってしまいました。
また、今回感じたのは、東北電力の姿勢の素晴らしさは、科学技術への敬意だけではなく、地域社会への寄り添う姿勢でした。壊滅的な停電状況から3日で80%の世帯を復旧、3カ月で全エリアを復旧させました。また、前例にとらわれず、発電所内体育館を住民避難所として提供、医療機関の電気系統確保に尽力されたことなどもその姿勢を示すものです。結果として、以下のような地域社会に対する貢献があったと思われます。
●世界三大漁場の1つを守ったこと
女川原子力発電所のある地域は、三陸金華山沖と近く、ここはノルウェー沖、カナダニューファンドランド島沖と並ぶ世界三大漁場のうちの1つなのですが、この世界的な水産業の拠点を汚染させずに守ったことは、極めて重要な意義があります。
●東日本大震災の最大被害地域に寄り添ったこと
東日本大震災における全犠牲者の方々約18000人中、宮城県では10000人超で、岩手約5800人、福島約1800人をはるかに超え、大災害地域でした。その中での女川町は、犠牲者比率が8.68%と県平均の0.46%をはるかに超える大災害地区でした。次に南三陸町4.77%、山元町4.29%、東松島市2.68%、石巻市2.47%となっています。そんな大災害地域にあった原子力発電所が安全に停止し、また、発電所設備を避難所として提供していたのでした。
●おわりに
今回の東北電力女川原子力発電所の見学を通じて、企業の社会的責任を改めて感じました。非常に厳格なルールに基づき、放射線線量計を付けて、3号機の中まで入れて頂いたのですが、何重にも管理され、衣服を着替えての見学を通じて、出会う人々同士が挨拶し、建屋内では、きめ細かい安全標語が、現場で作成して掲示されていました。また、標語の作成者は、記名されており、東北電力の社員の方も当然ありますが、協力会社の人々の作成文が多いことに気づきました。発電所所長にその点を質問したところ、東北電力社員が600人、協力会社の人々は3600人だそうです。現場には電力会社も協力会社も同じ仲間だとおっしゃっていました。
地域と現場を大切にする姿勢は、特に社会インフラ企業には、重要なことだと再認識したのでした。
2022年5月25日
代表取締役会長兼社長CEO
藤原 洋